「松阪から四季 納豆の如く」



納豆職人 奥野 敦哉

「第二十一章  前社長3回忌を終えて2」
前回に続きましてこれまでの私の職務人生を振り返るエッセイを続けさせていただきます。前社長=私の父の3回忌を終えてここまでの私の社長生活の検証文章を書こうと思うようになった次第なのですが、私の社長生活の検証というよりはそれ以前からの回顧となってしまい、そこがまだ続き、納豆の話題とは離れますが今月もお付き合いをお願い申し上げます。

前回から話は私が東京から実家に戻る、家業の奥野食品株式会社に入社するまでのことに触れているのですが、受験浪人から「大東文化大学」に入学できたことまで進みました。学部は経済学部、学科は経営学科でした。入学してからの私は自由に過ごさせてもらい、「教授・学者を目指すのではないのだから、経営学科なのだから研究というより実践だ」という父の考えは自分自身に枠組み制限を作らず活動をするように背中を押してくれました。その私はまず友人をつくろうと思いました。


当時の私の写真

浪人時代は1人も友人を作らず、高校時代の同級生にも会わず、家族以外にはコミュニケーションを持ちませんでした。また、初めての東京生活(最初は埼玉県富士見市の鶴瀬駅周辺でしたが)で従兄に付き添ってもらってアパートを決め、アパート生活初日は、電気が無く、早い日没で部屋が真っ暗になり冷えて布団も無く、名古屋で一人暮らしをしていたにもかかわらず、1日でホームシックにかかりそうになりました。その寂しさから逃れたかったのでしょう、この地に「心の基盤=自分のことをよく知ってくれている人(友人)」が欲しかったのです。友人はまず日本中から集まってきた入学直後の大学のクラスメートからでした。


大豆倉庫
根が引っ込み思案である私は本来、独りで居るほうが気楽な性分で自分から見知らぬ人に声をかけるということは考えられませんでしたが寂しさのほうが勝ったのでしょう、心の壁を取り除いていたのです。 それは小学校から浪人時代まで群れからはぐれたような人生を送り、同級生に声をかけるのにも恐々で警戒していた私には考えられないことでした。仲間はそれぞれ出身地も違う者ばかりどこで気が合ったのか、すでに集まっていた4人と一緒に行動するようになっていました。彼らとは今だに繋がっています。

読者の皆様も読んでいてつまらなかったと思いますので次に進みます。動きが出てきたのは2年の夏頃、次の年からの板橋キャンパスへの通学に備えて鶴瀬のアパートから東京大塚の古アパートへ移ってからです。こちらも静かな場所で鶴瀬より間取りは狭くなり家賃は上がったものの、建物が古かったからでしょうか、都内では格安の良物件でした。住まいが落ち着き次にすることはアルバイトさがしでした。まず、自転車で街をゆっくり走ってみてさがそうかと思いました。

ロケットワラ

それまでアルバイトはハンバーガー屋にはじまり、居酒屋パブ店員、交通整理、警備員、自転車撤去作業、変わったところではテレビエキストラなどを行ってきましたが、新しい街で生活を始めますので近くで安定したアルバイトを経験したかったのです。

しばらく自転車に乗っていますと目に喫茶店が入り、アルバイト募集のポスターが貼ってあるのがわかりました。以前、第六章で触れました「珈琲館ばるばど」です。私は思い切ってお店に入りカウンターに座りました。コーヒーをいただくと私にとって違和感のない美味しさでした。意を決して、私はマスター(社長)に「アルバイトは募集していますか?」とお聞きしました。マスターは「大丈夫だよ。もしよかったら働きなよ。」とおっしゃってくださいました。私は「はい、ありがとうございます。また考えます。」と訳のわからない返事をしてお店を出ました。そのとき、自分では他にアルバイト先をさがすのはやめようと決めました。が、ばるばどで働くのにもためらいがありました。実は夏休みが間近で1ヶ月ほど松阪に戻る予定だったのです。タイミングが悪いのにアルバイトの申込をしてしまった自分の拙さにあきれ、マスターに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。これでアルバイトはダメになるだろう、これからお店の近くを通るときは気まずいだろうなと思ったりしました。


たぬぷ〜大きいぬいぐるみ
そして1ヵ月後、東京大塚に戻り、恐る恐るばるばど店内に入り、コーヒーを注文し、しばらくしてマスター(社長)に「アルバイトは募集していますか?」と同じセリフで聞いてしまいました。社長は「君は7月○○日の○時くらいにアルバイトのことを聞いた子だね?大丈夫だよ。働くかい?」とおっしゃってくださったのです。私はホッとしたのと同時に前回の日にちと時間を憶えておられたことに驚きました。プロフェッショナルとはこういうことなのかと感じたことを思い出します。それからは残りの学生時代はアルバイトで、そして実家へ戻るまで正社員として社長と店長のお二人に手ほどきを受け、社会人としての心構えをはじめ数え切れないほどのアドバイス・ご指導をいただきました。ばるばどのおかげでとても充実した学生生活を送れたと今も思っています。

その頃、学業としても岩崎庄一教授(故人)のゼミナールに学び、充実しておりました。岩崎ゼミは経営分析を基本として、現在活躍している経営者のエピソードを辿っていくという興味深く、経営感覚を学べるゼミナールでした。岩崎先生は先に触れましたばるばどのお二人とともに私の一生の師と思えます。先生は二言目にはとにかく本を読むようにと繰り返し私におっしゃいました。先生が私に教えてくださった速読法は結局身に付けることはできませんでしたが、本を読む楽しさがわかった2年間でした。知識は本が教えてくれる・判断力は本が養ってくれる、たとえゆっくりでも自分にとって本は読まなければならないものなのだという感覚は岩崎先生が叩き込んだ私の中の大切な部分で、先生にお世話になるまで自分の中には存在しなかった感覚だったのです。この本を読む習慣がその後の納豆製造に大きく左右していくことになるのです。

次回も続きましてこれまでの検証を行ってみます。お楽しみに。

 

※ 大東文化大学
駅伝とラグビーの強豪校として有名。所在地は東京板橋区の「板橋キャンパス」と埼玉県東松山市の「東松山キャンパス」がある。何の疑問も持たず西洋化にただひた走る日本を憂えて自国の文化、そしてアジア文化のたしなみを根底として西洋文化を理解し吸収していくことを校風に「東西文化の融合」を建学の精神として現在に至っている。イメージカラーは「モスグリーン」。

※「珈琲館ばるばど」は社長菅谷氏、店長大内氏のダブルマスターで切り盛りしています。新大塚になくてはならないお店。常連のお客様それぞれに合わせたサービスを心がける都内有数の珈琲専門店。その空間は近所のおじさん、紳士淑女から女子高生まで幅広く愛されている。ちなみに第六章では「ばるばど」はポルトガル語で「あごひげ」の意味と説明しましたが、ポルトガル語ではなく、スペイン語が正解です。

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